日曜日, 7月 31, 2016

深夜特急を読まないで - 書評2016

ホントに良かった、
私は深夜特急を読まないでホントに良かった、
私が深夜特急を知ったのは今年になってからだ.

深夜特急の名前はインドで初めて知った、サダルストリートの日本人宿、その青年は深夜特急を読んで旅を始めたんですと語った、
「沢木耕太郎です、知ってますか」
「いや、知らない」
数年前の話だ、
青年の話から旅行記と言う事は判ったが、会話はそこで終わった.

今年になり私は深夜特急を知る、図書館でたまたま見つけた、3巻そろっている、かなり読み込まれている年代モノだ、借りて読んでみる.
なるほど、私の感想は多くの読書家や批評家のそれと同じだ、ここには記載しない.
しかし読中感じていたひとつの考え、それは私の場合バックパッカーになる前にこの本を読まずにラッキーだった、と言う事.
沢木さんは多くの人たちと出会い多感な旅を行っている、しかし本当にそんな旅は可能なのだろうか?
私も20年くらい前からバックパッキングを開始し、同じ様なバス旅行も経験している、しかし私にとって旅とはもっと味気ないモノだ、
ほとんど人と話さない日が何日も続く事も有る.
しかしもし沢木さんにインスパイアされ旅を始めていたらどうだろう、相当な違和感を感じたに違いない、こんなハズじゃ、こんな旅は、
大きく裏切られたと感じたに違いない.

沢木さんって若いとき人的魅力に富んだ青年だったのかもしれないが、あれほど人びとが勝手に寄ってくる様なバックパッキングは有り得るのだろうか?

深夜特急の舞台はは香港からロンドンまでで、多くをバスを使って移動している、実は私も似た様な旅を経験している、香港からクアラルンプールまでを長距離バスを乗り継いで移動した、5,000km近くは有ったと思う、ダラダラ移動していたので2ヶ月くらいかかった、10年近く前の話だ、
日々日記と支出帳を付けていたのは沢木さんと同じだが、帰国後それを使いブログを書こうとは思わなかった、初期にはシリーズモノとしてブログを書く予定だったが、道中にはその意気はしぼんでいった、そして帰ってきた時には全くその気は無くなった、理由は面白い話がひとつも無いからだ.

今世紀に入り、沢木さんは深夜特急の長いあとがきを執筆した、それが深夜特急ノート(本編は後半ダレてくるので、私としてはこっちの方が興味が有った)、その中で沢木さんはこう語っている、「ちょっとでもフィクションの要素が入ったら、、、」、描かれているエピソードは全て真実だと思う、しかし沢木さん特有の話だという要素はかなり強いだろう.

読んでいたら私はインドでその青年にこう返したかも知れない、
「あれはフィクションだ」

フィリピンランキング