いろいろ講座取ってみると内容に不可思議な点の有るモノや、試験問題については不可解なモノも少数存在する.
こう言う場合に質問や疑義を行いましょう.
当たり前だが人間が作っているタダの”商品”で“完成”されたひとつひとつの講座の信ぴょう性もそれぞれだ.
けっこうテキトーな事を書いてる先生も多い、また主観性が感じられる表現も有る、主観もそれとして述べられているなら判るがそこに客観性を匂わさせいるとオカシイじゃないかとなってしまう、、、ワケダ.
これまでの経験則から言うと講師がひとりで作っている講座はブレの無い/突っ込みどころの無いモノが多い、しかし複数の執筆者が介在しているモノは矛盾が出てくる場合が多くなる、つまり指揮者がいない演奏の様な講座も有るみたい.
具体的には見つかった矛盾点の”これこれはおかしい”と指摘するだけだ.
しかし相手に間違いを認めさせるのはなかなか難しいです、ある程度弁論が出来無いとウヤムヤにされちゃうだけだし、つまり目の前の黒い石を黒いと主張しても「私には白く見える」と言われればそれでオシマイの世界かも知れない、また無視って返答してこない人も少なくない.
回答を貰って精査してみる、自分が無知ってるのか講座が間違っているのか、しかしこの行為やってみると実際のガクシュウより面白かったりする.
私の場合解決しなかったら何度もしつこくやる.
こんな事書いていると日本ではクレーマーと称されるかも知れないが、この間NHKラジオの英語講座を聞いていたらこう言う申し立ては欧米ではchallengeと言うらしい、なんとなくニュアンスはつかめる、、、ちなみに日本語のチャレンジとはまったく意味は違う、、
我々民間人は個別の政府系機関が市民のために存在するのか職員(やココの場合講師も含む)のために存在するのかと言う恒久的疑問を持っている、こう言った方法で彼らに接してみると意外にその答えの一部を見られるかも知れないですよ.
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